言葉を吐く。

5年の摂食障害、そして回復、そして今。

チキンがないクリスマスを想像してみて!「食べる」が創る大切なもの。

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メリークリスマスです。🎅

我が家のクリスマスは昨晩でした。

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突然ですが、日常から「食べる」を取ったら人はどうなるでしょうか。

 

 

生きる活力がなくなる?

次第に栄養が足りなくなる?

そして体重が減っていく?

 

それだけでしょうか?

「食べる」は体を作るためだけにあるものでしょうか。

 

 

「食べる」は日常の空間を創ること

そうじゃないですよね。

クリスマスチキンやクリスマスケーキがある理由を考えてみてください。

 

 

人は 楽しいとき、悲しいとき、嬉しいとき、悔しいとき、

「おいしいもの食べよう」と言います。

 

人は誰かと会いたいとき、話したいとき、聞きたいとき、

「お茶でも飲もうか」と言います。

 

人は 一人になりたいとき、考え事をしたいとき、読書をするとき、

「コーヒーをください」と言います。

 

 

どんな瞬間にも、どんな感情にも

その時々に「食べる」は隣にいて、私たちの日常を創ってくれる。

 

 

「食べる」を通じて人と感情を分けあうこと。

「食べる」を通じて人と関係を築くこと。 

「食べる」を通じて何もない時間を彩ること。

「食べる」を通じて自分の心と向き合う時間をとること。

 

 

日常にはどれも必要です。

 

 

誰かといるときも、そうでないときも、

その日常、その時間を創るのは「食べる」という空間です。

 

 

「食べれない」は日常を失うこと

では、「食べる」ができない人はどうでしょう。

 

うまく食べ物を扱うことができない。

自分の食欲をコントロールすることができない。

食べた物を受け入れることができない。

だから人と食事をとることができない。

 

一見、食べることに障害を持っているだけのように見えますが、

その人は「食べる」という能力とともに、日常を失います

 

 

朝起きて「今日も頑張るぞ」と入れるコーヒーもありません。

同僚と楽しく恋愛話をするランチもありません。

3時の休憩に食べるコーヒーとクッキーもありません。

「今日もお疲れ様!」と友人と交わすビールもありません。

 

 

食べられないということは、「食べる」空間が創る日常を失います。

 

 

日常を失うことは人を失うこと

私たちは、あまりにも「食べる」を通じて繋がっている。

日常を失うことによって、当然ながら人間関係にも支障が出ます。

 

 

友達と可愛いカフェに行ってパンケーキを食べられません。

仲間の仲を深めるバーベキューにも行けません。

会社の飲み会にも歓迎会や送別会すら行けません。

記念日に恋人とお洒落なディナーもできません。

家族と食卓を囲めません。

 

 

だんだん、人間関係が希薄になっていきます。

だんだん、自分が、みんなが、離れていくのが分かります。

 

 

でも追いかけることはできません。

離れないで!も言えません。 

一度話を聞いてよ!も言えません。

 

 

 

 

だって「食べる」ができないから。

 

 

 

 

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竹口 和香